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吉田浩 (サッカー選手) : ミニ英和和英辞書
吉田浩 (サッカー選手)[よしだ ひろし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選手 : [せんしゅ]
 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team 
: [て]
 【名詞】 1. hand 

吉田浩 (サッカー選手) : ウィキペディア日本語版
吉田浩 (サッカー選手)[よしだ ひろし]

吉田 浩(よしだ ひろし、1943年10月9日 - )は広島県出身の元サッカー選手。
== 来歴 ==
父親は東洋工業(現・マツダ)で働き、1947年労務部長時代に東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)を復活させた中心人物。
修道高等学校時代は下村幸男監督のもと、森孝慈中村勤らとともに、1961年国体優勝。更に全国高校サッカー選手権釜本邦茂二村昭雄を擁する京都府代表の山城高校を破り優勝、高校2冠を達成した。同年、バンコクで開催された第4回アジアユースサッカー日本代表に選ばれる。
1962年立教大学へ入学、先輩に渡辺正がいた。故障しがちであまり活躍なかった。
卒業後は東洋工業へ入社、東洋工業蹴球部に在籍。ハーフバックとして、小城得達や二村昭雄などとともに東洋工業の中盤を組み、1969年のJSLでは得点ランキング4位(6点)、1970年天皇杯優勝など黄金期の一躍を担った。
その後、主力FW陣の引退と共にフォワードにコンバートされ、そのキープ力はチームに貴重なアクセントを与えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田浩 (サッカー選手)」の詳細全文を読む




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